自力で諏訪まで196km!〜諏訪観光後編〜【kaeru旅行紀】#3-4
上社です!!
自力で諏訪まで196km!〜諏訪観光中編〜【kaeru旅行紀】#3-3 - アルカエルナの井戸中日記の続きです……長いよ!!
・上社本宮
本宮です。現諏訪大社内でのメイン?と言ったらアレですけどそういうお社になります
御手洗川、表参道の石橋の下を流れています。元旦の蛙狩神事で冬眠している蛙を取る場所ですね。カエル……
布橋と呼ばれる建物を通って行きます。名前の通りかつては布が敷かれ、神職の大祝しか渡れなかったと言います
布橋を通る途中になにやら色々あります、が割愛
西宝殿。四脚門という徳川家康によって建てられた門の両脇にあります。御柱祭の時に片方を建て替えます。肝心の四脚門は写真を撮り忘れました。
四脚門の辺りから山側を見ると、諏訪七石の一つである「硯石」を見る事が出来ます
その名の通り、水が石の上の窪みに溜まり硯のように見えるためそう呼ばれています
拝所です。一般にはここで参拝します
弊拝殿
御柱です、土産屋のほうから来ると目の前に立っていますのでとても目を引きます
その御柱の背後にあるのが諏訪七石の一つ、御沓石、左上にあるのが天沼矛です
御柱に隠れるようにあるので、本宮に行ったら忘れずに見てみて下さい(^^;;
土産通りのほうから来るとこちらの石鳥居を目にする事が出来ます
写真の立て札の通りですが、こちらで農家の方々は穀物の良し悪しを判断したんですね
筒粥殿跡地です。上社本宮側の筒粥殿は現在は失われています。神奈子様のスペルの元でもありますね
こちらは諏訪七不思議の一つ「宝殿の天滴」の天流水舎です。どんな晴天の日でも宝殿から必ず三滴のしずくがしたたり落ち、この天流水舎に集まって諏訪湖、天竜川の元となる…と言い伝えられています
そのしずくは雨乞いの儀式にも使われたりしていたそうです
御神木の大欅です。別名「贄掛けの欅」かつては供物をこの欅に掛けた事からその名が付いています。樹齢なんと千年越え!!!
御手洗川の上の方です。水が相変わらず綺麗でございます
・上社前宮
遂に諏訪大社最後、上社前宮に行きます。本宮からそれほど離れてないので歩きでも行けます(個人的意見
拝殿。前宮だけは他の諏訪大社と違い境内の作りや社の形式が独特であります
古代諏訪の祭事の殆どがこの前宮周辺で行われたらしいので、この独特な作りは原初の諏訪を現代に残しているとも言えます
近くから
脇には「水眼の清流」という小川が流れています。とても澄んだ川でかつては禊に使われていたらしいです
柄杓が置いてあり水を飲む事も出来ます(自己責任で)
自分はいつもペットボトルでお水を頂いています(^^;;
さて、この前宮には神原(ごうばら)と呼ばれる場所があり、かつては諏訪大社神職である大祝の住居や神殿など様々な建物があったらしいです。写真はその跡地になります
戦国時代あたりに織田軍に諏訪氏が敗れたのをきっかけに大祝一族内で内部抗争が勃発しこの地が穢されたとして衰退していったとあります
こちらは「十間廊」諏訪大社の酉の市である「御頭祭」が執り行われる場所です
御頭祭という祭事ではかつては鹿の生首を75並べ、兎の串刺しや鹿の脳と肉の和え物等が神饌として捧げられ、その中で神職達が酒宴を催したとあります。血の匂い立ち込める中で酒宴とは中々に狂気的です
その鹿の中には例年必ず耳が裂けた鹿が獲れ「高野の耳裂鹿」と諏訪七不思議の一つに数えられています
現在でも神事は続いていますが、今は剥製の鹿の頭を数頭並べるだけに留まっています。が、駆除等で猟友会が鹿を獲ると今でも本物が並ぶ時もあるそうです。嘘かホントか……
こちらは先程言っていた神原の説明と跡地写真(反対側)になります
社標
・友人宅にて
お土産は色々と買いました。諏訪姫とすわこのフィギュアは自分が諏訪に来る度に増えてく事になりそうです(^^;;
あと諏訪に来る回数が多過ぎるので、諏訪専用の御朱印帳として一冊新たに買いました
洩矢神社で頂いた御札です。自分の家の三社造神棚の左側に納めてあります
諏訪四社の御朱印を貰うと記念品が頂けるのですが、今回は落雁と栞を頂きました
・帰宅…が
本当はまた自転車で帰るつもりだったんですがそんな気力とうに無く、輪行袋を買って鉄道で輪行して帰る事に決めました
上田で所用を済ませ、今回は新幹線で高崎まで向かいます
GW終盤とあって混んでること混んでること!
高崎からいくつか乗り換えて、我が家の最寄駅の路線に乗ります
数時間揺られて帰る車窓の眺め…
最寄駅に着いたときはもうこんな時間……
そして無事に帰ることが出来たのでありました。
めっさ疲れた…(でもこんな写真撮る元気はある